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糸島周辺情報
いとしま伝説の小径
伝説
今から百八十余年前。二丈町の名刹龍国寺がある波呂の隣村、松国村の農業田中家の二男孝太郎と庄屋松藤家の …
安徳天皇の伝説や遺跡は全国各地に散在しているが、この話もその一つであろう。 壇の浦で源氏が平家を滅亡 …
明治の中期二丈深江塩屋町に神の森梅太郎(本名・吉田清三郎)と名乗る宮相撲の力士がいた。 神の森関の初 …
明治十七年十月二十一日、志摩町引津の浦に沿う新町の漁夫、山本弥三郎は朝から一人で舟を漕ぎ出し、姫島の …
福岡市西区の元岡校区から北崎・志摩桜井方面は、今でこそ随分交通の便は良くなったが、昔は山々が入り組み …
大正時代の初め、二丈町深江の正覚寺の横に『オキしゃん』と愛称で呼ばれる一人暮らしの産婆さんが住んでい …
凡そ二百三十年前、大入の集落は僅か十数戸の寂しい農漁村で、東部沿岸沿いは水田が続く湿地帯で、沼地には …
志摩の馬場から桜井方面に行く通称『志摩野越え』という山道は、昔は北崎や桜井から前原に出る最短距離の道 …
志摩桜井の谷から東、北崎の方に抜ける立石峠に差し掛かると、右は草場道左は立石峠を越えて小田へと通じる …
真意の程は分からないが、糸島の各所に足利尊氏の書と云われる物がある。 尊氏が逆臣として京都から九州に …
以前は農耕馬の参拝で賑わっていた、旧前原市潤の観音様境内に山茶花塚というのが有る。既に塚は無くなって …
旧前原市のアソカ幼稚園西側の低い丘に小さな祠が有り、土地の人はこれを金六地蔵とか金六さんの墓と呼び、 …
二丈の真名子から浮岳に登ると、七合目程の所に古びた岩の洞窟が有る。そこには千数百年前の伝説を秘めた神 …
明治七年七月の朝のこと。芥屋大門に近い黒磯の海岸を歩いていた漁師の音吉が、岩陰の浅瀬に人が打ち寄せら …
昭和バスの雷山入口バス停近くに、西行もどしという石が有る。以前はもう少し上の道端に有ったが、道路拡張 …
糸島半島の東玄関に当たる絶景の福岡市西区長垂海岸も、昔は切り立った山の中腹を九十九折りの小道が通じ …
旧前原市の水無鍾乳洞は、今は道路や駐車場も整備され、随分と行くのにも便利になったが、これは水無での …
明治二十五年旧暦八月十六日、村人達が楽しみにしていたお盆も最後の夜となり、今夜は朝迄踊りぬくぞと、 …
今から四百年以上前、天正の頃の話。志摩町の野北の浦で、漁の主人たちを送り出した女房たちは、舟が出て …
旧前原市怡土校区の王丸から川原への県道が川原川の清流と出会うところの道端に、草の茂みの中から二つの …
怡土の高祖城主で、糸島全土を治めていた原田信種は、豊臣秀吉に攻められ、天正十五年(一五八七)城を明 …
全国各地に伝わる神功皇后(じんぐうこうごう)の伝説で、糸島地方で有名なのは旧前原市怡土校区の染井だ …
「のれん」は店の象徴であるが、加布里では昔から暖簾を使わぬというしきたりがある。 足利尊氏が天下 …
周船寺の女原から徳永~北原~今宿~横浜一帯は昔は入り海で、徳川時代から明治に塩田となり、やがて今の …
神亀二年(七二五)、博多簀子町の海岸に異形な僧が上陸した。言葉は通じず、一枚のスノコをまとい色は黒 …
芥屋の大門の東海岸に沿って、全く孤立した鏡岩と云う巨岩がある。昔、ある春の暖かい日、鏡岩の上に数人 …
今から380余年前慶長15年6月1日、糸島を襲った大暴風雨で桜井の三郎畑という丘の大きな岩屋にポッカ …