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転生物語 ~新町の漁夫が京都に生まれ変わった~

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転生物語 ~新町の漁夫が京都に生まれ変わった~

明治十七年十月二十一日、志摩町引津の浦に沿う新町の漁夫、山本弥三郎は朝から一人で舟を漕ぎ出し、姫島の見える野辺崎の辺りで釣り糸を垂れていた。


天気は良いし、ついうつらうつらとしていると「弥三郎おじさん」と、我が名を呼ぶ声がする。ふと我に返ると五・六歳程の男児が可愛らしい胸当てをして裸で立っている。
見た事があるような子どもだが…?そう!その顔はこの秋の八月八日、妻子を残し三十三歳の若さで病死した親類先の山本佐平にそっくりである。
「お前は佐平ではないか!」と問いかけると、子どもは「はい佐平です。私は今度仏縁で京都六条中珠数屋町の珠数屋、石田徳兵衛とその妻エイを父母とし、秀太郎という名を授かり生まれ変わることになりました。生前親切にしてくれたおじさんに、知らせておきたいと思い…」と言ったかと思うと煙のように消え失せ、弥三郎はハッと我に返った。


その夜、弥三郎は佐平の妻のコハルを訪ね、沖で見た不思議な夢のことを話した。コハルは「主人は生前熱心にお寺参りをしていまして、自分も京都に生まれていたなら朝夕本願寺の鐘を聴かれたであろうに…と言うていました。それに、新墓の竹筒から青い芽が出て茂っていますが、近所の皆さんも、これは善人だった佐平さんが善所に生まれ変わる瑞兆かもしれぬとおっしゃって下さいます。かねての念願通り京都に生まれ変わったのかもしれません」と涙を流して喜んだ。

しかし貧しい漁夫の弥三郎やコハルには、とても京都参りなど出来ない願いであった。


それから十数年後、新町の明光寺住職が西本願寺明如上人の葬儀に列するため京都に上がることになった。弥三郎が見たという夢の話を一日も忘れたことのないコハルは、上人に頼んで、京都に石田徳兵衛という珠数屋が有り、その家に秀太郎という少年がいるかどうか尋ねてみてくれるように頼んだ。


京都に着いた住職が調べてみると、石田徳兵衛という珠数屋が六条中珠数屋町に実在していた。住職は石田徳兵衛の店を訪れ徳兵衛と妻のエイに初体面の挨拶のあと「つかぬ事をお聞きしますが、お宅に秀太郎というお子様はいらっしゃいませぬか」と尋ねてみた。


徳兵衛夫婦は少々まごつきながらも「はい居ます。十六歳の男の子です」と答えた。十六年前に弥三郎が見た夢は正夢だったのか!住職は驚きに息が詰まるほどであった。「驚かれるとは思いますが、私は筑前の海辺に住む者です。実は十数年前に一人の漁師が妙な夢を見まして…」と、住職はこれまでの経緯を話した。石田屋夫婦が指折り数えてみると、間違いなく生まれも同年同月同日、弥三郎が舟の上で見たあの日と同じだった。


それから三人は秀太郎を呼んで、霊魂の不思議に夜を徹して語り合った。
この石田秀太郎という人は、大正七・八年頃までは京都市東堀川の竹屋町に住み、竹屋小学校の教師をしていたそうで「僕は筑前の漁師の生まれ変わりだよ」と、涼しい顔をして生徒達に語っていたということである。

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