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今必要とされる宗教家を考える。

知っ得コラム

2021.8.23今必要とされる宗教家を考える。

あるお坊さんのお話。
私がお仕えしたお師匠さんは、仏教哲学者であり心理学者であり、現実社会、人生に、いかに仏教を活かすかを常に考えておられた。新しいものに興味を持ち、物理、化学の新しい発見があるとすぐに仏教と照らし合わせ、「あった!!」と、物理、化学と仏教の新しいつながりに胸を躍らせた。他国の宗教や文化にも興味を持たれ、仏教的な考え方を世界の人々に伝えたいといつも願っておられた。


信徒には、ゆりかごから墓場まで仏教的な環境をと、保育園、幼稚園、特養、ケアレスホームと事業展開を始めた。その思いは、弟子に伝わり、信徒に伝わりことごとく実現し成功した。
毎日、本を10冊旅行用のコロコロバックに詰め、移動中に読まれていた。考えることが多いためか、興味のないことや任せてしまったことはきれいさっぱりお忘れになられ後始末が大変な時もあった。というか大変なことが多かった。
私ごときがお仕えさせていただくお方ではなかったのかもしれない。優秀で勉学に優れたものがお仕えしたならもっともっと師匠は勉強できたのかもしれない。まぁそれでも、わたくしなりに師匠が忘れてしまいそうなことは運転中に確認したり、必要な備品をあらかじめ準備したり、ほったらかしの本をわかるところに戻したり、信徒の質問に対する一般的な解釈を耳打ちしたり、海外に行ったり、毎月信徒のお家に行って師匠の代わりに相談にのったりした。


仏教学や勉強ができない私は、相談にのっても祈ることしかできず、毎日相談にのって毎日祈っているうちに件数がどんどん増えてしまい5件~10件の信徒のお家を毎日巡回してお参りした。お仕事が忙しいご主人は夜9時にしか帰れないと聞くと、夜9時にお伺いしてお話を聞きに行った。お寺に帰るのは夜中になることが多かった。朝は4時。過酷だった。しかし、信徒の喜びの声や師匠の喜びに支えられた。相談が、相談を呼びいろいろなことを耳にした。もちろん、人に言えない相談ばかりだった。恥ずかしいこともあからさまに相談された。不思議なことに、わたくしは聞くだけ、後は一緒に祈ることでなぜか解決していった。わたくしに感謝されたが私じゃなく仏様のおかげだと信徒には言い聞かせた。心理的に弱い人も一緒に祈ると元気を取り戻し弱い自分とうまく付き合えるようにもなった。不思議なことばかりだった。だから、元気になれた。疲れていても元気になれた。解決した喜びを聞くだけで役に立てたような気がしてうれしかった。


困っている人、悩んでいる人はすぐ目の前におられる。だからどんなことでも真剣に聞いた。そうして一緒に祈って解決するとお礼をされるようになった。何も望まないのにお布施をいただいた。信徒の喜びがお布施に代わった。ありがたかった。お布施やお賽銭を強要したことは一度もなかった。お布施の額が少ないからと戻したこともない。信徒の喜びを素直に受け取った。最終的にはお寺が建った。師匠は、これが本当のお布施だと喜んでくれた。
ありがたい。すばらしい。^^

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