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今必要とされる宗教家を考える②

知っ得コラム

2022.3.10今必要とされる宗教家を考える②

交通手段がなく本寺へお参りが大変な場所に新しくお寺を建てようと周辺の信徒一同と盛り上がった。場所を探すがなかなか見つからず、半年後、一階が倉庫になっている企業用の事務所を借りることになった。事務所は15畳くらい。


信徒に器用な方がおられ、2階事務所に仏前棚、導師座台、塔婆立、御供物台を作り、一階は受付と私の部屋を作ってくださった。本寺から車で30~40分であるが、電車バスでお参りしやすく周辺信徒は喜んだ。狭いが、毎朝20~30人お参りがあり、心のよりどころとして機能した。
私は、朝4時に本寺を出て仏様のお掃除、御天目のお取替え、御仏飯のお供えをし、5時半からお参りをはじめる。6時から毎日御法門といわれる仏教小話を10分程度。そして引き続き7時までお参りした。お供えした御仏飯で朝食を済ませ、10分休憩し、編み笠をかぶり拍子木を持ち経を唱えながら外へ。近くの小学校の歩道橋前に行き、子供たちの通学を見守った。8時半になると場所を移動し、炭鉱跡地に行って炭鉱犠牲者の供養をした。仮のお寺に戻るのは10時くらい、着替えて今度は信徒の家へお参りに出かける。毎日5件~10件。夕方、一旦仮のお寺に戻り夕方のお参りを済ませ、再び信徒の家に出かける。本寺に戻るのは、23時過ぎる。


そして3年後、ついにお寺の場所が見つかり建立になる。建立のための費用の強要は一切していない。信徒がそれぞれ思いをもって少しずつ積み重なったものが形になったのである。
修行には質がある。自分の為の苦行、人に施す菩薩の修行。得度(坊主になる)するには、そのどちらも修行するという覚悟が必要である。中途半端な考えでは坊主の資格はない。中途半端な考えで坊主になるものは大体の場合坊主という職権乱用を行ってしまう。信徒は、坊主の奴隷ではない。坊主と信徒は、互いに修行させていただくための同心でなければならない。互師互弟の関係でなければならない。そうでなければ菩薩行は成り立たない。


信徒が世間で懸命に働き稼いだお金は、坊主が信徒に仏様の教えを施し信徒の心に喜び感動を与えることによってはじめて布施に変わるのであって、信徒だから坊主に布施するのが当たり前という考え方は仏様の教えにはない。坊主は悩み苦しむ人々にいかにして仏様の教えを通じ喜び感動を与えるかを常に考え行動に移していかねばならないのである。そうする行動や心意気が経力、仏力をいただいて互いに喜び感動をいただくものとなるのである。また、その行動そのものが人々に喜び感動を与えるのである。
人の心は弱い。弱い故、名誉が欲しくなる。力が欲しくなる。欲望を満たしたくなる。でもそれは仕方がないこと。それと戦う修行が仏様の教えではない。そんな弱い我々でもお互いに助け合って、互いにできることがあるのではないかと説くのが仏教なのである。

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