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百姓和尚 ~親友の出世に発奮~

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百姓和尚 ~親友の出世に発奮~

今から百八十余年前。二丈町の名刹龍国寺がある波呂の隣村、松国村の農業田中家の二男孝太郎と庄屋松藤家の二男孫四郎は竹馬の友で、三十歳になる今日まで兄弟のような親交を続けていた。ところが孫四郎が神在の大庄屋納富家に迎えられ、士分という地位になると、孝太郎は孫四郎と言葉を交わす事も出来なくなった。


その年の晩秋、見捨てられたような気持ちの孝太郎が田すきをしていると、龍国寺の入相の鐘の音がゴーンと聞こえてきた。「龍国寺に弟子入りしよう!僧の身分であれば孫四郎が参拝に来た時は対等に話せる」。そう閃いた孝太郎はすぐさま龍国寺に行き、弟子にして欲しいと和尚に頼んだ。


和尚は「小僧というのは七、八歳の頃から修行をしてお前の年ではもう一人前の住職になっているのじゃ。今の仕事を続けなさい」と諭した。「お茶汲み小僧でもようございます。どうぞ弟子にして下さい」「お前の年齢なら論語の一節くらい暗唱できなくてはわしの弟子にされん。」和尚は、論語が読めねば…、と言えば諦めるだろうと思ったのだが「では論語を勉強して来ましょう」と言い残して孝太郎は引き上げた。


それから孝太郎は、田畑の行き帰りにも一心不乱に論語を勉強した。そして、半年の間に難解な論語をすらすら読めるようになったのだ。
龍国寺の和尚のもとを孝太郎は再び訪ね「約束通り論語が読めるようになりました、どうぞ試して下さい」と自信有りげに言った。
半年で論語が読めるようになるなんて…!半信半疑の和尚だったが、驚いた事にどの章を読ませてもスラスラと読めるではないか。和尚は孝太郎を褒め称え、弟子入りを許した。


孝太郎の努力は更に続き、龍国寺で修行すること五年、ある日和尚に呼ばれ、本山永平寺に行き学問することを勧められた。孝太郎はその後永平寺で十年間の修業に励み、本山管長から鉄肝(てっかん)という僧号を頂いて帰郷した。その頃福井の大法寺住職の入寂(死去)があって、鉄肝は大法寺第十六第の法灯を継いだ。


同じ頃鉄肝の師である龍国寺の和尚は老齢で病床にあった。檀徒総代の神在の大庄屋、納富孫四郎は後継の住職を決めるため門徒の人々と病床の和尚に意向を尋ねたところ「私の後を継ぐ者は大法寺の鉄肝しかいない」との遺言…。鉄肝は学徳が優れているだけでなく、農民の苦労をよく知った人だからと、門徒は大変喜んだ。
ところで、龍国寺に座られる寺入りの式「晋山式」の重大行事は大問答であり、この問答に答えられないと住職の資格は無いとされていた。


晋山式の日、駕籠に乗って寺入りした鉄肝は、集まった門徒と筑前国諸寺から参加した僧に迎えられ、須弥段の前に正座した。二十年前迄は農民であり、一時は言葉も交わすことの出来ない身分になった孫四郎も今、この自分を迎えている。鉄肝は感慨無量だった。


大問答が始まると、鉄肝は次々に問題に答えていき、最後に先師の一番弟子で鉄肝の兄弟子である大肝が問題を出す番が来た。自分が龍国寺住職を継ぐものと思っていた大肝は難問を出して鉄肝を追い出そうと考えていた。
「農道と僧道とこれ如何に?」鉄肝の答えは「別にして、別なし」。大肝は「意味よく通ぜず」と打ちかけてきた。鉄肝は、下心のある大肝に向かって「この位の意味が分からぬか!拙僧のように三十年間農業をやってみるがよかろう」と大喝した。叱声を浴びて大肝は、逆に龍国寺を追われる身となってしまった。


式が終わり方丈に入った鉄肝は下座の孫四郎と初めて対座し、その丁重な挨拶に痛み入り、孫四郎の手を握った「私は、またお主と親しくしたいばかりに勉強してきた。これからも助け合って行こう」二人は昔の青年時代を思い出し、涙を流して喜び合った。
その後、鉄肝は神在納富家の利休設計と言われる庭を見て、寺にも立派な庭を造りたいと自ら汗を流して完成させた。それが現在の鉄肝園であるという。

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