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初詣で、神の森梅太郎 ~神前で横綱さながらの土俵入り~

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初詣で、神の森梅太郎 ~神前で横綱さながらの土俵入り~

明治の中期二丈深江塩屋町に神の森梅太郎(本名・吉田清三郎)と名乗る宮相撲の力士がいた。
神の森関の初詣は、評判になるほど派手なもので、毎年元旦には早朝から愛馬神風号に化粧回しを飾り付け、海辺で潮井を取り深江神社に詣でた。参拝後は化粧回しをつけて、まるで横綱のように土俵入りの奉納をした。
体格腕力に恵まれた彼は、青年の頃から相撲にあこがれ、末は大関になりたいと願っていた。例えば、福博で東京相撲の興業が有ると必ず出掛け、帰りには数人の関取を案内してきて、新鮮な魚で接待をして相撲の稽古をつけてもらい、自分の技を磨いた。


彼の情熱に感激したある関取が「相撲が強くなるには体も技も大切だが、もっと大切なのは心だ。お主の心に神を養いなさい」と諭したことがあった。彼にとって感銘深い教えだったようで彼の生涯を貫いた敬神の心はこの時芽生えたのであろう。
その後彼は日頃耕作している田んぼの横の、天御中主神を祭った祠が有る貴船(木舟)の森で稽古に励んだ。そこには一本の大松もそびえており家の仕事に取りかかる前に貴船様に参り、百度の四股を踏み、松に向かって鉄砲の百度突きを日課とするようになった。この頃から彼は、貴船の森にあやかり自分のしこ名を神の森梅太郎と言うようになった。梅太郎の梅も天神様の梅から頂いたという。


こうした熱心な稽古の甲斐も有り「神の森」の名声は近郷に広まり、明治二十一年に二丈岳山腹の外内山から外内神社を深江神社へ遷座する際も、神の森関は凄い働きをした。
遷宮に取りかかると、御神体の大石があまりに大きく、作業に集まった役員達も困っていたところへ、たまたま山仕事に来ていた神の森が呼ばれた。
「この御神体の一部でもよい、持ち帰りたいのだがお前の力で何とかなるまいか」と懇願され、神の森も神様のことならと引き受けた。神の森が鉄槌で満身の力を込めて御神体の大石を打つと、今まで誰が打っても割れなかった大石が真っ二つに割れた。しかし、まだ運ぶのには大き過ぎるようだったが「これ以上割っては神罰を受けます。私が深江のお宮まで背負って帰りましょう」と言った。


皆はこの重い石を背負って行くなんて無茶だと思っていたが、神の森は難無く深江神社まで運んだ。この神石は深江神社境内に新しく建立された外内神社の中心に埋められ、その鎮めとなり、神の森の心も石と一緒に永く眠っている。


深江神社の秋の大祭には深江浜までの御神幸があり、流鏑馬(やぶさめ)が奉納されていた。流鏑馬の名手でもあった神の森が、愛馬神風号を走らせ昔の武士さながらに道端に立てられた的に次々と矢を命中させ、皆から拍手を送られた。


宮相撲界を引退し家業を隠居した後も、御神幸の時は愛馬に神官を乗せ自ら手綱を取ってお供するという神への奉仕を続けていた。こうして神の森梅太郎は相撲を通じて生涯神に仕える神僕として清らかにその一生を終えたという。

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