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いとしま伝説の小径

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草場池の大蛇退治 ~桜井川の源流となった池~

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草場池の大蛇退治 ~桜井川の源流となった池~

志摩桜井の谷から東、北崎の方に抜ける立石峠に差し掛かると、右は草場道左は立石峠を越えて小田へと通じる。その分かれ道辺りの地名を「堤(つつみ)」という。


今は田畑となっているが、戦国時代には豊後(大分県)の大友氏が志摩郡を領有して柑子岳(こうしだけ)に城を構えた時、桜井方面からの敵に備える為、ここに堤を築いて、草場四十八谷に水をたたえたという池の跡である。
その頃柑子岳に古くから住み着いていた大蛇が、この池に移り住んで主となり、時々付近の家畜や人にまで被害を及ぼすので、村人は城代の臼杵氏に大蛇退治を嘆願した。城代は家中で一番といわれる豪傑で、弓の名手でもある上田将監を選び、大蛇退治を命じた。


将監は早速鎧甲(よろいかぶと)に身を堅めて、大蛇の住んでいる池のほとりに来ると、立石峠のふもとに望楼が有るので、その櫓の上から小手をかざして蛇穴と思われる淵を見下ろした。藍色をたたえた水面には波ひとつ立たず、いかにも静寂で神秘的で、底深くには恐ろしい怪物が潜んでいそうに思え、さすがの豪傑将監も身震いするほどだった。将監は気を取り直し、弓に矢をつがえ「怪物出て来い」とばかりに待ち構えたが大蛇は姿を見せない。
暫く経って日も暮れだした時、水面に煙のような夕もやが漂い始めたと思うと何とも言えない池の底鳴りがして、パッと水煙がたち、大蛇が水面に三尺余りもあるかま首をヌッともたげた。目はらんらんと光り、紅蓮(ぐれん)のように開いた口からは真紅の舌をビラビラとひらめかした。この時を待っていたとばかりに将監は弓を満月のように引き絞り、ヒョウと放つと矢は狙いを違わず、大蛇の口深く射込んだ。


大蛇はたちまち水底深く消え失せると、一天にわかにかき曇り、地軸を揺さぶるような大暴風雨となって山鳴り地響き、池は大荒れに荒れ、逆巻く波は堤防を切って桜井の方へと流れ出した。その水勢に押し流された手負いの大蛇は、大木のような体をうねらせ、苦しみながら遥か野北方面へと流されて行った。


やがて水勢の衰えに合わせるように、大蛇も絶命して草原に巨体を横たえた。付近の人々は大蛇の物凄い形相と、後のたたりを恐れてそのまま放置していたが、大蛇は天日に晒されて乾燥し、その地を干原(ほしばら)と呼ぶようになったとのことである。


また、退治された大蛇がいろいろたたりを村に及ぼすので、その霊を慰めるために堤防のそばに祠を建てた所を薮神(やぶがみ)の森と言い、近頃まで残っていたそうだ。今は祠も壊れて、印に残っていた小さな石は、草場の地主某氏が自宅に持ち帰り弁財天として祭っている。


将監が上って大蛇を射た櫓の跡は、立石峠の坂の横にヤグラ田と呼ばれて現存し、秋には稲が実っている。大蛇が住んでいたという穴は、水田になってその中を小川が細く流れ、桜井川の源流をなしている。その淵は七十年前頃までは残っていたそうだが、次第に砂に埋もれて、蛇穴という地名だけが残っている。

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